About Saci Pererê
Saci Pererê Story
Party Plan
Live Schedule
Food Menu
Drink Menu
Reserve Form
Links
|
|
 |
 |



|
 |
パン・アメリカンのプロぺラの飛行機で始めてブラジルのサンパウロに着いたのは1958年の8月でした。日本人が海外に行けるのは身元保証のある者のみのブラジル国のみ受け入れてくれた時代でした。その時、日本国政府は正式に外貨として50ドルしか円と替えてくれなかった時代。移民ではなくすてる民といわれていました。古くから苦労して生きてきた昔の一世がまだ頑張っていた時代、そのころ我々のような小金を持った新移民が乗り込んでいったブラジル、色々の日本人が入れ混じりおかしな日系社会でありました。100万になろうとする多くの日本人がいるのに、音楽の国であるブラジルに日系人の生音楽の店が一軒もない時に私が日本から乗り込んで始めてお店を出しのがブラックジャック(BJ)で、日本の古い懐メロとブラジルの古いメロディにサンバのリズムで始めたのがバカあたりで連日大盛況でした。 その後、中心部に店を大きく出しのが”クラブICHIBANで今日まで話題になっている店でした。その後、1972年に日本に帰国し四谷の今の店を出しのですが、それが今の”サッシペレレ”です。サッシペレレというのは、アマゾンの木の中に住んでいる日本にも秋田辺りにあるわらし霊のブラジル版というところですが、赤い帽子 をかぶった一本足の黒人の子供の霊であります。ブラジルにはこれにまつわる色々な話があります。日本で始めてのブラジル音楽と料理の店ということで、とにかく大成功でした。 もう、30年を超えた事で考えると長くお店の歴史があります。今は東京でも5・6軒のお店があるようですね。また、日本中にも沢山のブラジルのお店があると知らされております。ブラジルから呼び寄せたミュージシャンたちも私だけでも200人はいたと思いますし、その中で日本で結婚して永住している人たちも随分いるようです。気が付いてみたらメジャーで活躍しているのは私の娘の小野リサが一番だったという事で私自身考えられなかったです。 とにかく、BOSSA NOVAがこんなに受け入れてくれた国は世界にありません。若い女性を初めとして音楽の分る人々に愛されたこのBOSSA NOVAは、今はブラジルより日本の方が上ではないでしょうか? | 2007/06/19(Tue) 05:59 |
|
|
|
| |